ゆとりーまん

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田舎特有の「世界を拡げない価値観」はどうも受け入れられない

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生まれた地で完結する人生

人の価値観はもちろんその人によりけりですが、田舎ならではの価値観がどうも僕には受け入れられません。その最大の特徴が「田舎で人生を完結させてしまう」ということです。

その典型的な例が職業選択でした。地元の中では勉強ができたほうだった僕は高校で進学クラスに入りました。(ちなみに田舎すぎて進学校というものがありません)その進学クラスの中の7割ぐらいは大学卒業後に教員として地元に戻って働くことを志望していました。そして大学を卒業した今、彼らはほぼみな教鞭をとっています。

ここに2つの違和感がありました。

第一の違和感はなぜ、彼らは高校生のかなり早い段階で「将来は地元で教員をやる」と決心できたのかということです。別に教員という職業が嫌いなわけではないですが、教員という職業にそこまで固執すること自体が僕には不思議でした。

第二の違和感は大学に行って初めて他の地方の人と交流して、他の職業に就こうと思う人が全くいないことです。もちろん教育学部に入れば事情は詳しくないですが教員免許を取得するのが最大のミッションとなり、将来に直結するのは理解できます。周囲もそれが目的で教育学部を選んでいるのですから。しかし全く気持ちが揺らぐことなく、すんなりと教員の職に就いていることに疑問に感じます。

この2つの違和感を生み出す原因が「田舎で人生を完結する」という田舎特有の価値観です。この価値観のもと、教員という職業が神格化し、他の選択肢には目移りすることも起こりえないまでになるのです。そしてその価値観を形成するのはやはり育ってきた環境が大きく影響しているように感じます。例えば、田舎の親は子供が「卒業したら必ず地元に帰ってくる」と思い込んでいることが多いです。たとえわが子が少年期から地元以外での生活に魅力に感じていたとしても、遅くても35歳ぐらいには自分のもとへ戻ってくると考えています。親のそのまた親の世代も同じ考えをしているので、子供もその思惑通りUターンしてきます。

ちなみに僕は田舎で働くまったくイメージがわかなかったです。なぜなら田舎より都会に住みたいから。それだけの理由ですがそんな考えをする人には地元では会ったことがありませんでした。

選択肢を排除している

職業全般の話に移しますと、この価値観のせいで将来の選択肢が狭められているのです。そして当の若い世代はそのことを何ら気にせず生きていきます。大卒の人は教員や地方銀行、高卒の人は自動車整備工ぐらいしか就きたい職業の選択肢がないのです。仕事自体は探せばあるんでしょうけど、若い人がやりたがる仕事がないんでしょう。ただ、仕事がないから東京に出た人も結局地元に戻ってきます。仲のいい友人に聞いていても「地元以外で一生暮らす人生を想像できない」という人のなんと多いことか。旅行で東京や大阪という大都市を訪れてみても「ここに住みたい」なんて発想がわく人は皆無に近かったです。地元で一生を過ごすということ自体が息を吸うぐらい当たり前になっています。

大学時代を考えてみても地方出身の人はまず卒業後は地元で働きたいと考えていました。東北出身でも、九州の人や中国地方の人でも8割方はそんな考えを持っていました。もちろん地元の家族や友人たちに囲まれて人生を歩んでいきたいと思うのは自然な考えだと思います。ただ、数年間都市部で働いた人も大方が地元に帰ってくるようにみんながみんなそういった考えをしているのに強烈な違和感を覚えます。

価値観が固定化されている社会では、例えば「大人になったら海外で働きたい」なんて発想自体が起こりえないのです。僕自身も大学を出たら高校教員として地元に帰ってきて野球部の監督をやってくれとまで言われていました。ただ、こういった話をしてくる大人たちも決して無責任にこのような言葉を高校生の僕に言ったわけではなく、この選択がベストなものだと僕のことを想って言ってくれているのはひしひしと伝わってきました。こんな中で育ったことで突然変異的に僕には他人とは違った価値観が育まれていたのかもしれません。

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