常識にとらわれない読書法~疑うということ~
凝り固まった常識を取っ払え
話題になっている本を手に取ってみて、読破して読んだ気になっていませんか?
僕もそうでした。上司に「ためになるから一度読んでみろ」と言われて渡された本を読み切って、一度はなるほど、と思うのですがイマイチ内容を自分の中に取り込み切ることができませんでした。
内容が理解できなかったというよりは、あまりにスムーズに読み進めることで本当に重要なポイントってどこだったんだ?という状況に陥ることがよくあったのです。
こうなってしまっては本当に自分の血となり肉となるはずの知識や情報も定着させることができません。
そこで僕はとある読書法を実践することにしました。
それは自分が読んだ本と”真逆のことを書いている本”を読むことです。
そのポイントは一旦認識した情報を疑うことにあります。
疑うことによって自分の中で凝り固まった常識を一度解体することができます。大きなことを言えば世紀の大発明なんかも疑いから始まったと思うんですよね。例えば、飛行機なんて発明前は空なんて飛べるわけがない、というのが常識だったでしょう。そこに「本当に飛べないのか?」と疑問に思ったライト兄弟が飛行機を発明して今やなくてはならないものになったわけです。大それた例を引き合いに出しましたが、疑うということから何かが始まることもあると僕は思っています。それを読書によって実践できたらどんな小さなことでも人生を豊かなものにしてくれるはずです。
かのアインシュタインの言葉にもこんなものがあります。
”常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションだ”
自分がこれまで生きてきて知らず知らずのうちに固定された認識、ここで言う常識というものを必ず持っているはずです。人それぞれ考え方は千差万別ですから、これまでの自分を一度リセットして正反対の考え方に触れることで自分の思考に柱ができてきます。
さまざまな考えに触れて人生の最適解を見つける
そもそもこの世の中には正解が決まり切っていることのほうが少ないのに、なぜか人間は一冊本を読むとこれが絶対正しいと思い込んでしまいがちです。そして、その本を読むきっかけはたいてい自分に都合のいいものです。例えば、ダイエットをしたい人なら「運動なんてしなくても1か月で-10キロ」なんて本を手に取ってしまいませんか?そんなに楽なことはないだろうと思いながらも本を読んで、その方法を試してみて、ああ、全然痩せなかったよー のような経験は多くの人がしてきていると思います。でもその本も嘘は書いてないと思うんですよね。たぶん。ここで「厳しい運動で全身をいじめることで痩せられる」的な本を読んだら、その中間地点の「適度な運動、適度な食事量」みたいなポイントに行き着くわけです。
要は自分だけの”最適な解”を両極端な読書を通じて見つけていくのが大事なのです。
真逆の内容が書いてある本を2冊読んでみる。この読書法を通じて自分がどんなことを考えて生きているのか、何を信じているのかが必ず見えてくると思います。もしかしたら今まで想像だにしなかった考えが思い浮かんでくるかもしれません。
まだまだ僕自身も”常識”にとらわれて生きているところですが、本を通じて人生を豊かにしていきたいものですね。
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